始まりの放射性元素
ウランは、1789年にドイツの化学者クラップロートにより閃ウラン鉱から発見され、1781年に発見された天王星(ウラヌス)にちなんで命名された。
当時は放射能という概念もなくベクレルがウラン塩が黒い紙で包んだ写真乾板が感光している事から、1896年に初めての放射性物質として認識された。この功績によりベクレルは1903年にキュリー夫妻と共にノーベル化学賞を受賞している。
さらに1938年には当時流行り始めていた「中性子を照射して(この時β線放射を伴い)原子番号が1大きい元素を作る」という実験をオットー・ハーンがウランに対して行った所、予想に反しバリウムのようなウランより軽い元素できるのを発見した。これは右切手のようにウラン235(陽子数+中性子数=235)が中性子を取り込み二つの軽元素に割れて複数の中性子を放出するといういわゆる核分裂である。(容易に核分裂を起こすウラン235は天然に0.72%しかなく、ほぼほぼ残りの99.275%を占めるウラン238は放射性ではあるが核分裂は起こし難い)この発見によりハーンは1944年にノーベル化学学賞を受賞している。
また核分裂の際、莫大なエネルギー(化学反応の100万倍レベル!)を放出する事が分かるとすぐに核開発競争が始まる事となる。。。