元素名になりそこなった男
超ウラン新元素の発見・合成は常に熾烈な競争が繰り広げられている。この105番元素もロシアとアメリカのチームが命名権を争い、ロシアがニールス・ボーアにちなんでニールスボーリウム(Ns)アメリカがオットー・ハーンにちなんでハーニウム(Ha)を提案した。IUPACは長年の紆余曲折の末1997年に、そのどちらでもないドブニウム(Db)を採用した。
元素名と元素記号はロシアにあるドブナ合同原子核研究所(設立者)のあるドブナにちなんだもの。
この研究所は旧共産圏の原子核研究の中心で、1954年にヨーロッパに欧州原子核研究機構(CERN)が作られたのに対抗して、1956年にソ連と当時の社会主義国家11ヵ国の共同出資で設立された研究所です。現在も大出力加速器を使って多くの超ウラン新元素の発見に関わってきています。元素名はこの功績を記念したと言う訳です。
なお、元素名には「正式で無くとも一度付けられた名前は混乱を避ける為使う事が出来ない」というIUPACのルールがある為、ハーンが元素名になる事はありません。
ハーンはベルリン大学でマイトナーと長らく共同研究者であったが、マイトナーがナチス迫害を避けスウェーデンに亡命した後「核分裂」に関する所見をハーンに送ったにも関わらず、核分裂の報告を単独で発表してしまいました。(ナチスの圧力もあったらしいが・・・)その結果、ハーンだけが1944年のノーベル化学賞の栄誉を受ける事となりました。。。。
しかしハーンが元素名になれず、マイトナーが109番元素の名前の由来となり日の目をみるようになったのはせめてもの報いといったところでしょうか。