研究者ど根性物語
今年(1998年)はキュリー夫妻によるラジウム発見100年。 名前の由来は放射線の「放射(radius)」。
七転八倒の苦難の末、何と8tものピッチブレンド(閃ウラン鉱)からたった1gのラジウムを取り出した。その上、劣悪な実験環境での研究のためにキュリー婦人の体重は10kgも落ちたという。そして最終的には(1934年)放射線障害による再生不良性貧血で命を落とす事となる。* まさに命を削りながらの研究といえよう。 (というより、当時放射線障害の知識がなかった為の悲劇というべきか・・・)
精製途中で得られた塩化ラジウムは黄緑色の燐光を出したそうだ。見てみたい気はするがちょっと恐い。なんたってラジウムの放射線はウランの100万倍も強い。 キュリー夫妻とともに1903年ノーベル物理学賞を受賞したベクレルはこの燐光を人に見せたくて、ベストに入れてたら放射線で火傷してしまったという洒落にならないお話もある。
*:キュリー夫人は第一次世界大戦の折、X線撮影が戦場での負傷者の診療に役立つ事に注目し、レントゲン設備を搭載した自動車(プチ・キュリーと呼ばれた)で病院を廻り、負傷者の治療に役立てた。しかしその時にはまだ現代のようなX線被曝に対する用心が無かった為、これもマリーの落命の原因と考えられている。 広島の露猫様情報ありがとうございます