20世紀デザインシリーズ10集
「湯川秀樹博士ノーベル物理学賞」 2000.5.23発行湯川博士再登場。 中間子のキャッチボールは相変わらず(但し2個に増えているのに注目)だが、 数式が入ってマニア心をくすぐります。(でも理解はできない。誰か教えて!)
ただし、湯川博士の顔色が不気味なほどに悪い・・・ 色彩センス最悪じゃぁ
文化人切手 生誕100年
「中谷宇吉郎」 2000.11.6発行
久しぶりの科学者切手のNew Face! 雪の結晶の美しさにとりつかれた研究者、中谷宇吉郎(1900〜1962 右切手)その人です。 この結晶の形というのはいろいろあって(切手背景にもちらほら)実は雪が出来た所での湿度と温度で決まっており、彼はそれを世界で始めて人工雪を作って立証したのです。(雪を作ると言っても氷と違って結構難しい)
この雪の結晶の形と湿度・温度の関係を表す図は彼の業績を称えて「中谷ダイアグラム」と呼ばれています。(残念ながらデザインに加えていただけませんでしたが) 「雪は天から送られた手紙」というのは彼の言葉ですが、その便りには遥か頭の上のお天気も書かれていると言ったところでしょうか?
なお、彼の師匠も切手になっております。 文化人切手(昭和)にも取り上げられた寺田寅彦です。
文化人切手 没後50年
「長岡半太郎」 2000.11.6発行
原子って覚えてますか?今でこそ「原子は原子核とその周りを回る電子から出来ている」のは当然という顔をして教科書にも載っていますが(実際に見える訳でもなく、本当はただのモデルですが・・・)、20世紀初頭まだ原子自体架空の物でした。
この原子の構造のプロトタイプを初めて提案した(1903年)のが長岡半太郎その人だったのです。そのモデルは土星の輪の運動から着想を得たため土星型原子模型と呼ばれています。
その後1911年にラザフォードにより原子核の存在が証明され、1913年にボーアが量子の考えを組み込んだモデルを提唱し、ここに至り原子のモデルは一つの完成形を見ることになったのです。 残念ながら土星型原子模型はそこまで定量的な説明が出来なかった為、ボーアのモデルの影に隠れて今はあまり目立っておりませんが、長岡の先見の明は驚嘆に値するものがあります。
追記:近年の調査では、長岡半太郎の原子モデルは切手にも描かれているような大きな原子核を想定した物では無く、むしろ現代の原子モデルに近い正電荷を帯びた点電荷に近い物を考えていた事が分かってきている。 また、長岡が考えたポテンシャルでは電子は、土星の環のように同一平面上にある必要は全くない。そういう意味では、切手中央左におまけのように小さく描かれてる(意図は不明だが)原子模型の方が長岡の提案した原子模型としては従来の土星型原子模型より正鵠を射てると言えよう。 (稲村卓 「歴史と教育 よみがえる長岡原子模型」放射化学 vol.31 pp.55〜62、"Nagaoka’s atomic model and hyperfine interactions" Proc. Jpn. Acad. Ser. B92 (2016) pp. 121-134) この発案はラザフォードの原子モデルよりも先(長岡のこの模型での発表は1904年のPhil. Mag. vol.7 No.41 pp.445-455とするのが妥当)なされており、長岡半太郎の再評価がされつつある。
昭和12(1937)年には第一回文化勲章を受章。
21世紀デザインシリーズ第17集
「日本人宇宙飛行士活躍」 2000.12.22発行
この切手の題材ともなった、1997年に日本人初の船外活動(右)を行った土井隆雄宇宙飛行士がうちの研究所に立ち寄られた時、小さな講演会が開かれました。
私も出席させてもらえたので、ちょこっと質問してみました。
「宇宙飛行士やっていて、これ何とかならんもんか!と思うのは何すか?」
土井氏曰く 「んー、宇宙服ですかね。」
しかして、そのこころは・・・
文化人切手 没後50年
「田中館愛橘」 2002.11.5発行
馴染みの無い方が多いと思いますが(安政生まれですし^^;)、当時多くの国際会議に出席し、欧米の最新科学を持ち帰った。
木村栄のお師匠様。主な分野は地球科学(重力・地震・地磁気)ですが、万国度量衡会議にも出席し、日本へも普及させた。 これは、度量衡の度は長さ(m)、量は容積(l)、衡は重さ(g)を示し、各国の単位を統一しようと言う事です。
彼は日本の国際化の必要性を強く感じ、ローマ字の統一と普及に努めた。(ローマ字で和歌もよく詠んだそうで。。) 小学校で習うのは彼の制定したものです。世間一般ではその他にもヘボン式というのがあって、こちらは発音に近い表記になります。 例えばこの切手では彼の名前は「AIKITU」ですが、ヘボン式だと「AIKITSU」になります。 現代はヘボン式が優勢ですが、この切手だけは田中館式になってます。芸が細かくていいw
文化人切手 生誕150年
「北里柴三郎」 2003.11.4発行
やっと出ました。北里(熊本小国生まれ)切手!(生誕150周年を待ってたのねん)
1901年ノーベル賞受賞者 手前から3番目がベーリング |
1885年-1891年、世界的細菌学の大家、ロバート・コッホ(ドイツ ベルリン大学)に師事し、1889年にはベーリングと共に世界で初めて破傷風菌の純粋培養に成功(=嫌気性菌の培養に成功)。 1890年には世界で最初に血清療法を発見し、破傷風毒素とジフテリア毒素に対する抗血清を開発する。この功績により1901年の第1回ノーベル賞生理・医学賞最終候補となるが、結局べーリングのみがノーベル生理学・医学賞を受賞した。
これは当時はまだアジア人軽視意識もあったためとも言われている。(さすがにノーベル賞選考委員会はこれを否定)1891年、日本に戻った後は福沢諭吉の援助により伝染病研究所を設立し、着実に実績を上げていった。しかし同研究所が1914年に内務省から
おいしくなった所を横取り文部省に移管され東京大学に合併される沙汰が下され、北里はこれに反対して所長を辞任(さすが肥後もっこす!)。この時、研究所の全職員が一斉に辞表を提出したと言う痛快事が起こっている。
雷おやじとあだ名されるほど部下にも恐れられていたが、ただそれだけの人物でなかった事は明白である。その後は同年11月5日に私費を投じて北里研究所(後の北里大学の母体)を設立。 今でも北里大学の校章には破傷風菌がデザインされている。
「2004年世界医師会東京大会」 2004.10.6発行遺伝子治療の発展を象徴して、人体と生命の設計図DNAをデザインしてあります。
体内に描かれてるG・A・C・TのアルファベットはDNAの暗号部とも言える塩基、グアニン・アデニン・シトシン・チミンです。ちなみにDNAの役割が分かる前はリンを貯蔵するものと考えられていたそうです。
余談: ちょっとマニアックなネタではあるが、ジョジョの奇妙な冒険第6部ストーンオーシャンで敵役プッチ神父のスタンド・ホワイトスネークの体に表れているアルファベットがG・A・C・Tなのはこれに由来している模様
「2007年ユニバーサル技能五輪国際大会」 2007.10.23発行出ない出ないと愚痴を言ってたら、出ました。我が研究所のロボットHRP-2 Promet。
身長154cm、体重58kgです。駆動できる関節が30箇所。ほぼ人間と同様の動きができます。なお、最新のHRP-3(Promet MarkU)はさらに進化してます。ユニバーサル技能五輪国際大会のプログラミングの項目で切手になりました。
目出度し目出度しw
付記:HRP-2プロメテが平成29年度重要科学技術史資料(愛称:未来技術遺産)に登録されました。詳しくはこちら
「日本天文学会創立100周年」 2008.3.21発行
これはその一部で太陽系を表したものです。(木星と土星だけが切手ですが^^;)
2006年国際天文学連合で惑星から排除された冥王星は図案には含まれていません。冥王星はアメリカ人のパーシヴァル・ローウェルにより予言され、1930年同じくアメリカ人のクライド・トンボーによって確認された。したがって冥王星の惑星からの排除に多くのアメリカ人研究者の反対があるのではとも思われたが、いともあっさり可決された。(さすが研究者理性的w)
火星と木星の間の塵みたいなのはアステロイドベルトを表してます。木星の強い重力の為、惑星になり損なった物と言われています。その中でも最大の物はケレスで直径およそ1000kmです。冥王星は直径2320kmなので、アステロイドベルトのどの小惑星より大きい訳で、ちょっと立場がありません(;_;)
この他にもX線天文衛星「すざく」 、小惑星探査機「はやぶさ」、国立天文台「すばる望遠鏡」、「野辺山45m電波望遠鏡」なども切手になっていますが、1ネタで10枚は多すぎるだろう!と言いたくなってしまいます。
「第一回野口英世アフリカ賞」 2008.5.23発行
野口英世三度目の登場です。
この賞は、野口博士の志を引き継ぎ、アフリカのための医学研究・医療活動それぞれの分野において顕著な功績を挙げた方々を顕彰するために作られたそうです。
などと成人君主のように扱われる事もありますが、若い頃は金を借りて放蕩する悪い癖があり、子供の頃の恩師小林栄に「いつまでも他人の金に頼るな」と諭されたという偉人らしくないエピソードもあります。英世も人の子。
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