インスリンを巡って part3     ホジキン(1910〜1994) vs. 中国チーム

若き日のホジキン女史と分子模型

 インスリンの発見以降もインスリンの研究は多くの研究者によって進められた。その一つがインスリンの3次元構造決定であった。
 その最有力候補だったのが、生体物質ペニシリン(1949)、ビタミンB12(1956)の構造をX線回折法で明らかにしたD.C.ホジキンでした。この時すでにその功績により1964年ノーベル化学賞を受賞し、X線結晶構造解析の第一人者として功をなしてました。
 そのホジキンをしてもインスリンにはてこずり、手がけてから30年もの歳月の苦労の後亜鉛原子を組み込む事で、構造解析に必要な結晶を作りあげ、1969年にようやく世界で初めてインスリンの3次元構造決定に辿りついた。(Nature 231, 506-11によると分解能2.8オングストローム
インスリン構造
 中国でも北京の研究チームが国家事業の一環としてインスリンの構造研究を行っており、1972年に独力でインスリン構造を得ている。さらに研究は推し進められ第4次5ヵ年計画成果の切手(1976年発行)にもなっているように、1.8オングストロームという高い分解能の構造に辿りついている。この精度はホジキンらのよりも高く中国チームの面目躍如と言った所でしょう。切手も素晴らしいですが、当時のコンピュータ事情(それも中国)を考えると凄い事と思われます。
 当のホジキンと中国チームですが、ライバルではあったようですが、前述の二件のようなドロドロした確執はなかったようで、ホジキンはインスリンの構造が決定される前の1959年から80年代初めにかけて4回も訪中して講演・意見交換などもやっていたそうです。(その時日本のチームも議論に参加していたそうです)やはりこういうのが科学のあるべき競争の姿だと思います。


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