渡る世間は・・・     D.I. メンデレーエフ(1834〜1907)
陰のある男
 子供の頃のやんちゃ話は「切手周期表」の「メンデレビウム」で紹介していますが、この御仁大人になってもいろいろな逸話を残しておられます。 詰まる所、人付き合い・世渡りが下手なのである。ぶっきらぼう短気口下手の上人間嫌いなどと科学者にありがちですが、さすがに大物やる事がなかなか強烈である。
 大体この怪しい風体。私的にはアボガドロと並ぶ変な顔・・・あ、いや失礼、異相科学者の双璧と思っています(平たく言えば教科書で絶対顔に落書きされそうなタイプ)が、 彼の場合この髭が特徴と言えるでしょう。そんな彼のトレードマーク、別にお洒落でやっていた訳ではありません。ただ単に洗顔・ヒゲ剃りが大嫌いでそうなってしまっただけという究極の無精ヒゲなのです。 それでは人も寄り付きません。結局弟子もつかず後継者もいなかったというのは残念な話です。(でも奥さんはいたりする。不思議なモノだ。 ただ単に手が早かったという話もありますが)
か、顔色変だぞ
 また、サンクト・ペテルブルク大学教授の時、当時のロシア政府の抑圧政策に反発する学生運動が活発で、仲介役を仰せつかったメンデレーエフ(56歳)は事もあろうに学生側に肩入れし文部省と衝突、結果大学を首にされてしいました。 普通偉い方というのはこういう場合、権力の側に付くか権力自身に成り果ててしまうのが通例、良くても世捨て人のような傍観者を決め込むのが関の山。しかし彼にはそれができなかった・・・  はっきり言ってバカである、でもそんなバカが私は大好きです。

 そんな彼でも、元素の周期表をはじめ、臨界点の発見・水和現象の研究・最初のロシア語の有機化学の教科書の執筆など、その多岐に渡る業績の偉大さには変わりありません。(国民教育の本、関税の本というのもあるらしいが) 1906年には周期表を対象にしてノーベル化学賞の候補にも挙がったが、惜しい事に1票差でモアッサンに敗れている。 また、その死に際しロシア皇帝ニコラス二世は国葬をもって弔い、旧共産圏(特に旧ソ連)では今でも数多く切手の題材にされるほど英雄扱いとなっております。
 この「科学切手の世界」ホームページにも一部ではありますが随所に収録しています。さて一体何枚あるでしょう?


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