鈴木梅太郎によるビタミンB1(オリザニン)の発見は国際的に不遇であったのみならず国内でも不遇でした。彼の発見が脚気に有功である事を、彼が農学者であった事もあり長い間日本医学界には受け入れられませんでした。特に強硬に反対していた一人が脚気細菌説をとり兵士への白米支給に固執していた当時の陸軍軍医総監・森林太郎であった。 彼こそ「舞姫」(私は好きじゃないですが)等の作品で知られるかの文豪「森鴎外」である。
その為25万人の陸軍兵士が脚気にかかり、うち1割以上が落命したと言われる。文豪としては著名であっても医官としては残念な人であったと言わざるをえない。