早すぎた発見 グレゴール・ヨハン・メンデル(1822-1884)
その発表は1865年ブリュン自然協会でなされた。(論文としては1866年のブリュン自然科学会誌)そのタイトルは「植物雑種に関する実験」、今でいうメンデルの遺伝の法則の発表であった。今でこそ教科書に載る程の生物学の重大法則であったが、当時は全く相手にすらしてもらえなかった。
彼は司祭であったが科学をほぼ独学し、1853年から1868年にかけて修道院の庭のエンドウ豆で交配実験を行った。その結果、切手に描かれているように、その豆や花等の形態が優性遺伝子(AとかR)と劣性遺伝子(aとかr)の掛け合わせで決まる事実に辿り着いた。
しかし、当時の生物学はほぼ博物学の域を出ておらず、生物とは複雑なものでそんな簡単に(数学的に)説明できるものではないというのが通説であり、メンデルが生物学の専門家では無い司祭(メンデルの所属していた修道院では学術研究や教育も為されていたので無縁という訳では無かったが)であったため軽視された事も相まって生前評価される事は無かった。
彼の遺伝の法則が再発見されたのは1900年、21世紀の扉が開かれようとした時になってからである。遺伝子の構造と遺伝の分子論的メカニズムが分かっている現在では至極当然のように思えるが、そのような前提の片鱗もなかった時代になされたその発見は正に達見であったと言えるでしょう。
科学の真実の前では、プロもアマチュアも関係ない。 真実は見えるか?!
補足: 優性遺伝は、別に遺伝資質が優れてるという訳では無く、遺伝による特徴が現れやすいという事(劣性遺伝も同様)である。その誤解を防ぐために2017年に日本遺伝学会は優性を「顕性」、劣性を「潜性」と言い換える案を提唱している。(定着するかどうかはこれからですが)
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