フリッツ・ハーバー
愛国心を裏切られた男     フリッツ・ハーバー(1868〜1934)
 フリッツ・ハーバーと言えば空気中の窒素からアンモニアを合成するハーバー・ボッシュ法1918年ノーベル化学賞を受賞した事で有名である。当時ヨーロッパでは産業革命で人口も増大し、農産物の需要が劇的に高まったが、それを賄う肥料が不足していた。その中でも特に窒素は空気中にはなんぼでもあるのに容易に反応しない為化合物として肥料にする事は難しく、入手経路は硫安や硝石などに限られ新しい入手法が渇望されていた。(このアンモニア合成は戦争に必要な化薬に使われる硝酸の新たな入手経路ともなったが)そんな背景があってノーベル賞に繋がった。
毒ガス反対
 もう彼のもう一つの顔として化学兵器(C兵器 毒ガス)の父という側面がある。現代では無差別大量殺戮兵器として原子力兵器(A兵器)・生物兵器(B兵器)と共にその使用は強く非難されるが、彼は強い愛国心を持ち「毒ガスで戦争を早く終わらせる事で、無数の人命を救う事ができる(原爆投下を正当化する人々も似たような事を言うが)と考え第一次大戦でその研究・実用に尽力した。
特殊演習
日本軍も毒ガスとは無縁ではありませんでした
 この研究に対し当時珍しく化学の博士号を持つ教養のある妻クララは強く反対し、1915年に自殺する事で抗議した。それでも祖国ドイツを愛するハーバーは歩みを止める事は無かったが、最終的にはドイツは敗戦を迎えた。ハーバーのノーベル賞受賞はその直後の事であった。(戦争に大きく貢献していた事でこの受賞は物議を醸し出したが)敗戦で莫大な賠償額を押しつけられたドイツは庶民の生活はもとより科学研究にも重く圧し掛かっていたが、ここでもハーバーはドイツの為に尽力し苦難の後復興を成し遂げる。
ボッシュ
 しかしドイツは愛国者ハーバーに無慈悲な恩返しをする事になる。すなわちナチスによるユダヤ人の追放である。その為ドイツの科学界に多大な貢献をしたハーバーも、多くの科学者が反対したにも関わらずユダヤ人であるが故に国外追放の憂き目にあう。そして最期まで最愛の国ドイツに迎え入れられる事無く、ドイツとはライン川を挟んで目と鼻の先のスイス・バーゼルでその一生を失意のうちに終えた。
ヒトラー
*:空中窒素固定法のもう一人の立役者ボッシュが「ユダヤ系の科学者を追放する事は、ドイツから物理や化学を追放することである」と警告したが、それに対しヒトラーは「それならこれから百年、ドイツは物理も化学もなしにやっていこうではないか」と答えている。アホである。


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