日本の科学切手 50年代編


北斗七星 南十字星 Not So Bad

「万国郵便連合加入75年記念」1952.2.19発行

 それぞれ、北斗七星南十字星が描かれています。なぜ日本からほとんど見えない南十字星が?と思ったら よく図案の左下を見るとカッターボート(脱出等に使われる)の影が。。。 そう、ここは船の上。郵便物を積んで南半球を航行中ってとこですかね・・・


Zだぜぇーーーーっ! Not So Bad

「文化人切手;木村栄」1952.9.26発行

 木村栄(1870-1943)は、岩手県水沢の緯度観測所初代所長。田中館愛橘のお弟子さん。
各国と協調した当初の緯度精密測定から、水沢での緯度計測は「誤差が大きく、望遠鏡の調査や観測を見直すように」とケチョンケチョンな言われようであったが、木村は田中館と共に装置等には何ら問題がない事を確認した。

 これに奮起して木村は、緯度の極運動から逆算された観測所の緯度からの差に観測所の経度によらない共通項がある事を発見し、これをZ項として導入した。
 これに基づき観測結果を再評価すると、未知の現象であったZ項の存在が正しく、かつ水沢での観測が優秀だった事が証明された。まさに木村の面目躍如と言うところであった。

 ただ、実際にはZ項が何に由来するかは木村は確定させる事はできず、彼の死後の1970年に現代の地球のモデルに基づいた地球の章動に由来する事が判明している。


寺田寅彦 Not So Bad

「文化人切手;寺田寅彦」1952.11.3発行

 寺田寅彦(1878-1935)は、W.L.Braggと同時期に、X線による結晶解析の先駆的研究を行い、帝国学士院恩賜賞を受けた。 しかし、彼はむしろそういうことよりも「尺八の音響学」「墨流し」「電気火花の構造」「ガラスの割れ目」「金平糖の角の生成」など通常は取り扱わなかった身近な現象を物理学的に捕らえ研究対象とした事で有名である。 一見奇異にも思えるが、これらは全て界面現象、不安定現象、統計現象の解明に繋がってゆくもので、その目の付け所の鋭さには驚嘆させられる。 また、災害に関する科学的研究にも熱心で、「天災は忘れた頃来る」は彼の言葉である。
 夏目漱石の教え子であり、「我が輩は猫である」の理学博士水島寒月のモデルといわれている。 文筆家としても有名で「吉村冬彦」というペンネームで随筆なども書いている。 彼の作った歌には
好きなもの イチゴ コーヒー 花 美人 懐手して宇宙見物
 なんて洒落たものもある。 正に文化人の名に値する人物といえよう。


東京天文75年 Not So Bad

「東京天文台創設75年」1953.10.29発行

 大正生まれの第一赤道儀室です。望遠鏡はツァィス製だそうです。
 背景には(右から)北斗七星・北極星・カシオペア座が並んでいます。 小学生の時、北極星の見つけ方を習った事が思い出されます。目が悪くなった今となってはもう分かりませんが λ。。。。


原子炉 Not So Bad

「原子炉完成」1957.9.18発行

 日本最初の原子炉(JRR-1)の臨界記念

 世界で2番目の原子炉切手。 ただし、現在は動いておらず(1969年稼働停止)、記念館(原研東海研内)として残っているそうです。(消印は原研前郵便局の風景印) 現在はJRR-3が再稼働している。(JRR-2は原子炉としての役目を終え、解体試験に使用)

 茨城県に住んでかれこれ30年以上になりましたが、やっと念願かなって(原子力科学研究所)見学できました! 行ってみて話を伺って初めて知った事

1. JRR-1は放射線防御の為、厚さ4mものコンクリート壁で構成されており、中心の炉の部分は40cmの球体で硝酸ウランの水溶液が使われていた。(現代の原子炉ではほぼほぼ酸化ウランが使われている)
2. JRR-2・JRR-3はJRR-1とほぼ同時期に企画された物で使用目的がそれぞれ違っている。JRR-4は原子力船むつを含む船舶関連の研究に利用されていた。
3. JRR-1・JRR-2は基本アメリカ産で、そこから学んだ技術に基づき作られた純国産第一号はJRR-3
やっぱり現地に行って自分の目で見たり聞いたり感じたりする事は大事ですね!
補足: 自国の化学技術力の宣伝(誇示?)になるためか、原子力の切手は世界的にも数多く発行されています



続きはこちらへ→[Back to 60's]

コメント、ご意見はこちらへ koji-abe@sciencestamp.jp 間違い有ったら教えてね。